thinkthinkourselfの日記

The only thing that never change is everything change.

これから求められる能力とは

最近自分の中で大きく衝撃を受けたニュースがある。それはSkypeが同時通訳機能をプレリリースしWindowsユーザーなら既に使用可能というものである(http://jp.techcrunch.com/2015/05/13/20150512skype-translator-preview-now-available-to-all/)正直な話このニュースを見た瞬間私はガッカリしてしまった。なぜなら今必死になって英語を勉強している意味が無くなる可能性があるからだ。これはひどく逆説的な話である。私は世界中の人々とコミュニケーションを取りたいから、世界で仕事をしたいから英語を学び始めた。今回のSkypeの新機能は世界中の人々とのコミュニケーションをより手軽に可能にする可能性のある素晴らしい発明であり、純粋に考えれば私も大喜びし早期の普及を望むことが普通だろう。しかし私が英語を学ぶことはコミュニケーションを取るためだけでは無かった。
 今の日本において英語を喋れる•使えるということの優位性はかなり高い。大多数の人々が英語を喋れない中で自分が喋れるということが自分の一つのウリになるから努力するわけである。就職においても英語を学ぶ意欲の高い人間が評価されることは否定出来ないだろう。そうであるから私は英語を勉強しているしアピールポイントにもなると考えていた。しかしもし今後数年してWearable Simultaneous Translation Diviceなるものが登場したら日本及び世界はどうなってしまうのだろうか?言語という障壁が消え去った時、『ワタシ』は何をウリにして世界に発信していくべきなのだろうか。日本の歴史を深く学ぶことだろうか?経済を学ぶことだろうか?プログラミングが出来ることだろうか?
 言語とは思考であり文化であると私は思う。言葉がなければ物事は存在しないのである。日本語には日本の文化があり英語には英語の文化がある。そうすると語学を学ぶことは新しい思考方法を学ぶことでもあり新しい文化を学ぶことでもあるわけだ。日本には蛾と蝶がいるがフランスにはパピヨンしかいないというのは有名な話である。そうであるならば同時通訳は文化の壁を簡単には越えられないと思うし、そこに外国語を学ぶ楽しみやメリットがあるのだと私は思う。だから私は英語の勉強はまだまだ続けるつもりだ(実際のところ日本語と英語の同時通訳が高いレベルにおいてそんなに早く実現しないだろうという読みがあるからなのだが…笑)色々と混乱したことを述べてきたが結局のところ『何』を伝えるのかが重要なことは変わらないのだろう。魅力的な人間にならないといけない。何かを語れない人間じゃないと世界中の人々と話せるようになっても意味が無いのだ。
 しかし新しいテクノロジーが既存の職を奪い取ることになるかもしれないという問題は本当に恐ろしく感じる。テクノロジーの可能性は無限大でワクワクするがそのうち『職』という概念が消え去るんじゃ無いかと思うほどである笑 この話はまた後日まとめてみたい。